今月のコラム
素材にこだわっても、素材に頼るな。
ある家具職人のおじさんの言葉
「一枚ものの無垢材を贅沢に使ったって、そんなの偉いのはその木材であって作ってる人間の価値なんて全然ないじゃないか。そんなんで仕事しちゃ駄目だよ」
僕もその通りだと思う。
「この植物は大変に珍しいものです」ということを売りにしていたら永続的な仕事は出来ない。みんながそういった貴重なものを欲しがれば、行き着く先は環境破壊しかない。
僕は「ありふれた素材を使って、素晴らしいものをつくる」ことの方がすごいと思う。
「貴重さ」や「珍しさ」といった素材に頼るようなことはしたくない。
そういう意味では派手な仕事よりも地味な仕事の方が高い技術を求められる。
さらっと読まれたかもしれないが、これは世間の常識と真逆のことを言っている。
常識では技術が高くなるほどに価値も高くなるとイメージされている。しかし、実際は高級なものになるほどに、その「技術」と「素材」のバランスは素材の側に偏っていき、技術は必ずしも上がっていかない。
そうやって「より良い素材」を求めて環境から収奪していったし、今でもしている(省エネの開発費を膨大につぎ込むくらいなら、多少技術が劣っても資源を使うだとか)。
近年は環境意識の高まりもあり「育てる」「保護する」という管理も行って延命して、言い訳くらいはするように進化したけれど。
そういった事を踏まえて、僕は貧乏になるということは良いことだと思う。
「(経済的に)貧乏になる」ことは「貧しくなる」事と同じではない。
貧しい金持ちが大勢居ることを僕達は知っているじゃないですか。
貧富の差と豊かさはリンクしない。
それが成熟した社会だと思う。
職人復権である。
人間の技術という資源に枯渇の問題も、伐採の問題もなく無限に開発が出来る。
ようやく「非人間価値」の時代から「人間価値」の時代になる。
それが「素材にこだわっても、素材に頼るな」ということである。
人材も同じで、指導者は「人材選びは真剣に、しかし人材に頼るな」と言う事である。
良い人材なら、ほっといても育つ。駄目なやつは何をしても駄目。
というのは素材に頼っているのと同じじゃないか。
本当に問われているのは指導者の技術(指導力)のはずである。
そうやって何事も自分の側に責任を寄せ付け、自分の成長にしてゆける人が豊かになる時代。責任を追いたくないというのは相手(素材)に頼り、自分自身の存在を軽くして貧しくなる時代。
そんな時代がやってきたよという思想を込めた仕事をしたい。
text 中西研大郎
うるおいを緑にこめて
わたしたち四緑園は、1970年にスタートしてから 花と緑によるうるおい空間をおとどけしています。 めまぐるしく変わる時代の中で、人にやさしい環境は、ますます必要になっています。 わたしたちは、植物の持つやさしい姿や香り、 さらに音や風とのアレンジにより、人の五感にやさしい空気をおとどけしたいと思っています。
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