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2010年4月

空気のデザイン

お部屋の空気(肌や目の乾燥、臭いなど)に気を配っている人は空気清浄機や加湿器を使っていらっしゃる場合が多いでしょう。しかしそういった機械が作る空気って健康に良いのでしょうか。例えば次亜塩素酸などの消毒用薬剤は様々な菌を殺します。その殺菌力で病気を予防したり、悪臭の元になる菌を退治しているのです。また加湿器や水を使う空気清浄機では、こういった薬剤を使用しなければ水中に雑菌が繁殖し、有害な菌を増やしてしまう(場合によっては病気の元になる)ことに繋がるため使用しないという選択肢は実質存在しません。しかし、それが体内に摂取されて体内の菌へも影響を与えます。もちろん肌の常在菌に対しても同じです。そういった機械を使用するメリットとデメリットを比較したときに、よりどちらが大きいとは断言できません。

例えば解決方法として加湿器の代わりに観葉植物を置いてみたらどうでしょう。観葉植物は化学物質を吸い込み、体内で分解して、蒸散作用によって水蒸気を吐き出す、空気清浄機と加湿器の両方の機能を持ち合わせています。しかも植物の出す水蒸気は蒸留水に近く、さらにフィトンチッドと呼ばれる抗菌作用のある化学物質(森林浴をして吸うことを奨励されている物質)を出して雑菌などを退治しています。これは昔から虫除けやカビ防止に使われていました。成人は一日で約15,000~20,000ℓの空気を吸っています。人間が体内に取り込む物質の内訳は、食べ物と飲み物をあわせても15%と意外に少なく、全体の8割は空気から取り込まれています。農薬を出来るだけ使わない食べ物を選ぶように、空気もきちんと選んでみてはいかがでしょう。

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2010年5月

植物と暮らす

植物は生きています。
「そんなこと、あなたに言われなくても知っている」そう思うかもしれない。
けれども「チューリップがいる」と言われると違和感を覚えないだろうか。単なる国語の問題だと思うかもしれないが、僕にとっては疑問なのである。普段、生き物は「いる」で、生きていないものは「ある」と使い分けている。ゴキブリやバイキンのような嫌われ者でさえ「ある」とは呼ばずに「いる」という。しかも小さな子供から、お年寄りまで「ある」と「いる」を使い間違えているという場面に出会わした記憶がない。それほど間違える事の少ない「ある」と「いる」で、植物が「ある」と呼ばれるのは生きていると思われていないからなのではないかと思ったのだ。
特に緑の仕事をしていれば「維持管理がしやすいもので」だとか「丈夫なやつで」と言われる。それって生き物に対するオーダーじゃないよね、と思う。
どんな仕事をする人も「環境」を無視できない時代に入った。これは悪い事ではないと思っている。環境破壊礼賛とまで言ってしまうと問題だろうが、ようやく環境だとか自然、植物に関心を持ってもらえる状況は整ってきた。けれども、みんなちっとも解ってない。それで、もう一度きちんと言う事にしたのである。
植物は生きています。
それを少しでも知って欲しいので、ぜひ「自然との共生」とかいう胡散臭い話ではなくて、植物と共同生活を送ってもらえればと、お部屋で楽しむ観葉植物の企画をします。
植物のある、、、じゃなかった「植物のいる暮らし」をはじめてみませんか。

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2010年6月

やさしさの植物

かつて室内と屋外は縁側で自然とつながっていた。
縁側が無くなって窓になった。
でも窓は自然とつながるというより自然を取り込むものだと思う。
なんとなく外から中への一方通行で、つながっている感じがしない。
家の壁や塀に沿って並べられた植木鉢は、外とも中ともつながっているような気がする。
その植木鉢はお家の人が楽しむプライベートなものだけれども、街を美しくし、道行く人も楽しませるパブリックなものでもある。
並んだ植木鉢は縁側が無くなったけれども外と中がくっきり区切られたくない、外へ開いた心の表れなんじゃないか。
植木鉢が自分だけ良ければという雰囲気の社会を明るくしてくれるような気がする。
植木鉢は自然じゃない。
人口だからやさしい。

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2010年7月

美しさ

美しい生活文化を提供する。
これが私たちの企業理念です。
美しいとは、どのようなことなのだろうか。
普遍的な美というものは疑わしいと思っています。では美はどこにあるのか。
美は関係性の中に定型のようなパターンとして現れてくるような気がする。
家族との関係。
恋人との関係。
友人との関係。
仲間との関係。
他人との関係。
故人との対話や、物との関係、空想の人物との関係もあるだろう。
それでも生きているものとの関係で安らぐというのが一番多いのではないだろうかと思っている。呼びかけに応えてくれるのは生きているものである。
だから「命/生きているもの」を私たちは好むではないか。
でも人との間では傷つくこともあるだろう。本当に疲れて、会いたくないときだってあるだろう。
動物(ペット)だったらどうだろう。彼らは見るなと言ってくることもない。でも私が見ていることを知っている。逃げていくこともあるだろう。
植物は逃げもしないで居てくれる。しかも何も言わない。でも私のメッセージを受け取り、元気になったり、疲れたり、花を咲かせたりと表情を見せる。他の生き物に比べて、とても静かな関係性がそこにある。
その繊細な関係性の中に安らかな美の存在を確かに感じるから、この仕事は美しいのだと信じている。

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2010年8月

つぶやくことはできないが

言葉で伝える事が出来ないものを伝えようとする。
ましてやパソコンを通じてなんて絶対に伝える事はできない。
それが出来る天才も居るのかもしれないが、少なくとも僕には出来ない。
そう確信していても言っておきたいことがある。
弊社が提供するサービスは購入前に。その良さを知ることが難しいということである。
お花屋さんの仕事と似ているように言われることもあるが、全く異なる。
お花屋さんの仕事は基本的に一瞬のものである。
もう少しきちんと説明すると、作品を見れば良し悪しが一瞬でわかるということである。
そういう意味では庭師の仕事に似ている。何年か経過しなければ、本当に良い庭になるかどうかはっきりしない。
それは何故か。
それは「育てる」という要素が強いからである。
育てるということの結果はすぐには出ない。
それと庭というのは、物を買ってくるというような一般的な物品とは性質が大きく異なる。
庭の価値は庭、それ自身よりも所有者の「こころ」が大切なのではないかと考えている。

「こころで見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
枯れないように水をやったり、だれかのことを心配したり、つまり何かを大事にするということのなかではじめて「見えて」くるものがある。大事なものは、そういうふうに大事にしつづけないといつまでも見えてこないものなんだよ。
『星の王子さま』のなかの狐の言葉である。
そんな見えないものを商品としようとしているのが四緑園である。

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2010年9月

時間の間

今月号の写真はバンタンデザインさんで最近(8月)の状態を撮影したものです。
「最近の状態を撮影したものです」とわざわざ書くのは、一番良い状態をプロのカメラマンに取ってもらって、「いいでしょ!」というビジネスの仕方をしようとしていないからです。
良い季節の写真だけを見せてアピールするのではなく、一年を通してどのような状態なのかを見ていただけることが安心に繋がると考えています。
こちらの物件は今年の4月上旬に竣工しました。
そのころは小さな苗だったものが3ヶ月間で、こんなにも成長するとは植物の成長力に驚かされると同時に3ヶ月の長さも感じます。
しかし、最近いただくお話は本当にタイトなスケジュールで、社会やビジネスの速度に驚きます。
お話をいただいてから竣工まで1ヶ月無いというのが当たり前になりつつあります。
ここまで読んで頂くと、ちょっと散漫な印象を受けられたかもしれません。
バラバラのようで共通しているのは「時間」についてです。
ビジネスや社会の速度がどんどん速くなり、ついて行くのが大変に感じる一面で植物の成長速度に驚いてしまったりもする。
ビジネスでの時間が縮む中で、売り上げを取れば良いという思いが、作品の一番良い一瞬を写真で切り取って使われて、すぐに忘れられていく。
一年を通しての変化や成長。それから経年変化を伴いながら育てていくプロセス。
どうもこれらの様々な「時間」の間にギリギリという音がしそうなくらい摩擦が起こっているように感じています。
その摩擦の起こっている部分で私たちは仕事をしているからこそ、この「時間」同士が擦れる音や熱を強く感じるのかもしれない。
本当は全ての人が、それを無意識にストレスとしているのであれば、緑を通して私たちに出来ることが沢山あると感じる。

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2010年10月

庭園の思想、花壇の思想、野原の思想。

壁面緑化という言葉がエコブームで少し認知されるようになった。
けれども「壁を植物で覆うことだな」という程度の理解の方が多い。
壁面緑化にも色々あるのだとアナウンスするのが最近の僕の仕事である。

壁面緑化の中でも、一番コストが安い
すなわち手のかからない方法がツタ植物による緑化である。
これを野原の思想と呼んでいる。
人の手がほとんど入っていないもの。

メーカーさんが作っているもので多いのが小プランターやポットの植物を並べて
季節に応じて植物を入れ替えるいつもお花が楽しめたり、デザインを変化させられる。
これを花壇の思想と呼んでいる。
新鮮味が良いのだけれども、常に新ということは時間の堆積は無い。

四緑園が一番提案している緑の壁は庭園の思想ですと言っています。
冬には枯れます。
毎年同じ植物しか咲きません。
けれども、ひとつの植物がどのように一年を、または一生を咲かせるのかを経験してもらえます。
年々の成長を一緒に生きることができます。
それが時間の堆積だと思っています。

緑化するというだけではなくて、どんな思想で緑と付き合いたいのか。
そんなことを考えるのが当たり前という社会を想像し、創造する会社でありたい。

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2010年11月

騙される方が悪いのか

四緑園の社員は環境のプロフェッショナルです。
しかも真面目なプロフェッショナルです。
環境問題に注目が集まり、エコがブームになっても
それをビジネスチャンスだと誤魔化すことができません。

エコだロハスだ自然素材、天然素材だオーガニックだ。
そんな言葉が氾濫しています。
そして、そんな売り場には緑が沢山あります。
その緑に近づいてみると、実はプラスチックの造花です。
そういった現場を見ると、天然素材をアピールするのが
単なる儲け主義で、そこに愛がない事が見えてしまう。
そしたら次からは天然素材で造花を作りますとでも言われたら
笑い話としか思えない。

ベルギー人の友人がクリスマスツリー用のモミの木を買いに来た。
そのときの言葉が忘れられない。
「なぜ日本人はクリスマスツリーをニセモノで作るの?
クリスマスツリーって何か解ってないのかしら」
自分自身が、あまりに見慣れていて
それに違和感を持っていなかったことを恥ずかしく思った。
予算の問題や、アレルギーなどで
本物には手が出ないからという人もいらっしゃるだろう。
実際、四緑園でもイミテーションツリーも手配している。
そこにジレンマを感じて仕事をしなければ
プロフェッショナルではないと思う。

できれば小さくてもナチュラルなツリーのご注文をお待ちしております。

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2010年12月

自然が美しいのではない

自然は美しいというのは嘘である。
誰が見ても美しいものなんてない。
人が自然の中に美しさを見るのだと思う。

庭は美しい。
それは管理されているからである。
ほおって置けば枯葉が落ちてきたり、ゴミも飛んでくる。
植物自身だって自然にしておくとボサボサになったり病気になったりする。
そうなっていないということは、
ものすごく人工的なオペレーションが行われている。
それでいて植物は成長や自然に見えるように馴染むのを待たなくてはいけない。
しかも必要な植物と生えて欲しくない植物を
分別しながら待ち続ける意志的な辛抱強さがないといけない。
でもあまり人工的にやりすぎるとわざとらしいので
そこに自然の干渉を許し、人工と自然のバランスをつくる。
その部分で「美」が「庭」が生まれるのだと思う。